坂の上の小さな郵便局は、夜の十一時になると、そっと明かりを灯す。昼間はただの閉まった建物なのに、夜更けには窓が黄色く光り、看板の「夜の郵便局」という文字が浮かび上がるのだ。 雨宮透がこの局で働き始めたのは、秋の終わりのことだった。求人の紙には「夜間勤務。手紙を届ける仕事」とだけ書かれていた。 「ここに集まるのは、出せなかった手紙ばかりでね」 局長の星野は、白湯の入った湯呑みを透に差し出しながら言った。六十代半ばの、声の静かな人だった。 「謝りたかった手紙。ありがとうを言えなかった手紙。もう会えない人への手紙。そういう手紙は、宛先を求めて、夜のうちにここへ流れ着く。私たちはそれを、夜明けまでに届けるんです」 足元では、黒猫の墨が丸くなって眠っていた。この局の、もう一人の局員である。 局の中は、思ったより狭かった。木のカウンター、古い帳面の並ぶ棚、暖炉。そして玄関脇には、蓋のない木箱が置かれていた。 「それが『出せなかった手紙入れ』です」星野局長は言った。「夜になると、出されなかった手紙が、町から、時には遠くから、そこへ流れ着く。誰が運んでくるのかは、私にもわかりません。気づくと、入っているのです」 透がそっと覗くと、箱の中には何通もの封筒があった。新しいもの、古びたもの、宛名の消えかけたもの。どれも、書き手の思いの分だけ、静かに場所を取っていた。 「配達は夜明けまで。受け取った人が朝、ポストを開ける。その時、手紙は『届いた』ことになるんです」 星野局長は帳面を開き、今夜の配達先を指でなぞった。墨が帳面の隅に座り、尻尾で頁の端を押さえている。長い付き合いの相棒の仕草だった。 その夜、最初に届いたのは、皺の寄った封筒だった。差出人は八十歳の男性。宛先は、三十年前に些細なことで喧嘩をして、それきり会っていない友人だという。 「重い手紙だね」星野局長は封筒を手のひらに載せて、目を細めた。「謝る勇気は、年を重ねるほど重くなる」 透は自転車に乗って、夜の町を走った。友人の家は、川の向こうの古い住宅地にあった。玄関のポストに封筒を差し入れる時、手が少し震えた。 帰り道、透は振り返った。友人の家の窓に、明かりが灯ったところだった。老人が封筒を手に、しばらく立っているのが見えた。 翌日の夜明け前、その老人は夢を見たという。三十年前と同じ川辺で、友人と二人、釣り糸を垂れている夢を。その話が局に届くのは、もう少し先のことになる。