第2話 ありがとうの宛先

夜の郵便局 著者:ミオ

その手紙は、五年間、引き出しの中で眠っていた。  書いたのは、看護師の女性だった。小学生の頃、勉強が苦手で、いつも下を向いていた彼女に、担任の先生が言った。「あなたは人の痛みがわかる子だね。その力は、テストの点数よりずっと大事だよ」  彼女は看護師になった。先生に報告とお礼を書いたけれど、「まだ何者にもなれていない」と思うと、出せなかった。手紙は書かれた夜のうちに、坂の上の局へ流れ着いていた。 「届ける時期というものがあってね」星野局長は言った。「この手紙は、今夜がその時です」  今の彼女は、病院の夜勤もこなす、頼られる看護師になっていた。その週も、彼女は眠れない入院患者の手を握り、「大丈夫ですよ」と声をかけ続けていた。誰かの痛みに寄り添う時の彼女の声は、穏やかで、確かだった。かつて先生が彼女に見つけてくれた力が、今は毎晩、病棟の誰かを温めている。本人は気づいていないけれど、その「ありがとう」は、もう何年も前から、行動で届けられていたのだ。 「言葉の方は、言葉で届けましょう」星野局長は言った。「それが、この手紙の役目です」  先生は退職して、今は小さな家で花を育てている。明日は、その先生の誕生日だった。  透がポストに手紙を入れて帰ろうとすると、家の窓からカーテンが揺れた。先生が夜中の水やりに起きたのだろう。封筒を見つけた先生は、眼鏡をかけて、玄関先の明かりの下で読み始めた。  読み終えた先生は、封筒を胸に当てて、少し笑った。そして庭の花に水をやりながら、小さな声で言った。「ありがとう。私も、あなたに会えてよかった」  先生は手紙を、長年使っている授業ノートの最後の頁に挟んだ。明日からの庭仕事の合間に、何度も読み返すつもりだった。教え子からの手紙は、教師にとって、遅れて届く給料のようなものだと、彼女は思った。  その声は誰にも届かなかったけれど、夜の空気は確かに少し温かくなった。墨が透の足元で、満足そうにひと鳴きした。