第9話 海辺の電話ボックス

やさしい不思議の本 著者:しおりさと

海辺の岬の先に、青い電話ボックスがあります。電話帳もなく、料金表もなく、受話器からは潮騒だけが聞こえる、不思議な電話ボックス。地元の人々は知っています。干潮の夕方、この電話では「もう会えない人」と一度だけ話せることを。

ただし、話せるのは潮が満ち始めるまでの間だけ。そして、かける相手は一人だけ。だから人々は、本当に伝えたい言葉があるときだけ、この岬にやって来ます。

少女アオイは、おじいちゃんが亡くなってからずっと、言えなかった言葉を抱えていました。入院中のおじいちゃんに、最後に会いに行った日。アオイは泣いてばかりいて、「ありがとう」も「大好き」も、言えなかったのです。

秋の夕方、アオイは電話ボックスに入りました。受話器を取ると、潮騒の向こうから、懐かしい声がしました。

「おお、アオイか」 「おじいちゃん……。あのね、あのね……」 言葉が詰まります。でも、今度は逃げませんでした。 「ありがとう。大好きだったよ。ずっとだよ」

電話の向こうで、おじいちゃんは笑いました。

「知っとるよ。お前はいつも、顔に出とった」 「ほんと」 「ほんとだとも。それに、アオイの声が聞けて、じいちゃんは嬉しい」

潮が満ちてきました。受話器の向こうの声が、少しずつ遠くなります。

「そろそろ時間だ。元気でいるんだよ」 「うん。おじいちゃんもね」

電話は、静かに切れました。電話ボックスを出ると、岬の空は夕焼けでいっぱいでした。アオイの頬には涙がありましたが、胸のつかえは、潮に流されていったようでした。

海辺の電話ボックスは、今日も岬の先に立っています。潮騒の向こうで、誰かの大切な言葉が届くのを待っています。