第88話 調律師の耳

やさしい不思議の本 著者:しおりさと

ピアノの調律師、オトさんは耳のいい人でした。ピアノの音の狂いはもちろん、家の「空気の狂い」まで聞き分けるのだそうです。

ある家に呼ばれたとき、オトさんは言いました。 「ピアノの前に、このお宅の朝の音が少し狂っていますね」 その家の夫婦は、最近すれ違いが続いていました。朝の挨拶も減っていたのです。オトさんは調律の合間に、夫婦の若い頃の思い出の曲を弾きました。懐かしい旋律に、二人は顔を見合わせました。 「……昔、よく弾いてくれた曲だね」 「また弾くよ。朝ごはんの後にでも」

調律を終えて、オトさんは言いました。 「家はね、楽器と同じで、時々合わせ直すんです。音も、気持ちも」

その家の朝に、挨拶が戻りました。ピアノの音も、よく響くようになりました。