第8話 局長の受け取った手紙

夜の郵便局 著者:ミオ

「私がこの仕事を始めたのはね、自分が手紙を受け取ったからなんです」  珍しく、星野局長が昔語りをした夜があった。若い頃の彼は、夢に破れて、町を出ようとしていた。出発の前夜、ポストに一通の手紙があった。差出人は、疎遠だった父。もう亡くなっていたはずの父が、生前に書き残して、誰かに託していた手紙だった。 「『お前はお前の場所で咲けばいい』。たったそれだけの手紙でした。でも私は、旅立つ足を止めた」  父の手紙を届けたのが、前の局長だったという。星野は礼を言いたくて坂を上り、そのまま局員になった。 「手紙はね、人の人生の向きを、ほんの少し変えることがある。その『ほんの少し』の重さが、私は好きなんです」  父の手紙を境に、星野は町に残った。昼は小さな印刷所で働き、夜は局の手伝いをした。前の局長は無口な老人で、手紙の扱い方だけを、背中で教えたという。 「前の局長が亡くなる前に言ったんです。『この局は、届ける場所じゃない。待つ場所だ』と。手紙は、届くべき時まで待つ。人は、その時まで生きてみる。そのための場所なんです」  星野は暖炉に薪を一本、足した。火の粉が静かに舞った。 「私がここにいるのは、父の手紙のおかげです。だから今度は、私が待つ側に回っている。それだけのことです」  透は、自分の制服の胸ポケットに触れた。そこには、彼自身の出せなかった手紙が入っている。書いてから二年、ずっと持ち歩いている手紙だった。  ちなみに、父の手紙は今も局の引き出しにあるそうだ。大切な手紙は、届いた後も、受け取った人の側で生き続ける。星野は時々、夜の静かな時間にそれを読み返すという。「私の潮時は、あの手紙で始まりました。終わりがいつかは、まだ来ていません」  星野局長は何も聞かなかった。ただ、温かい白湯をもう一杯、透の前に置いた。  夜はいつも通り流れていった。墨だけが、透のポケットをじっと見つめていた。