その男性は、四十代だった。故郷を飛び出して二十年、意地と恥ずかしさで、一度も帰っていない。両親への手紙を何度も書いたが、最初の「お久しぶりです」で、いつも止まってしまった。 局に流れ着いた手紙は、便箋一枚に、たった三行だった。 「お久しぶりです。元気にしています。来年の春には、帰りたいと思っています」 「短い手紙だ」と透が言うと、星野局長は笑った。「この三行を書くのに、二十年かかったんですよ」 彼の部屋のゴミ箱には、丸めた便箋がいくつも入っていた。「突然の連絡をお許しください」で始まるもの、「仕事は順調です」で空々しくなるもの。どれも最後まで書けなかった。この三行の手紙だけが、書き上げられた夜のうちに局へ来た。書き上げられた手紙には、出発する力があるのだ。 「短さは、弱さではありません」星野局長は封筒を受け取りながら言った。「届く言葉は、いつも必要な分だけです」 配達の夜、透は実家のポストの前で深呼吸をした。自分のことのように緊張した。封筒を入れ、そっと離れる。家の奥で、人の気配がした。 翌朝、母親が手紙を見つけた。何度も読み返し、仏壇ではなく、電話の横に置いたという。そして、その日のうちに、息子の携帯に短いメールが届いた。 「手紙、ありがとう。いつでも帰っておいで。布団は干しておきます」 息子は駅のホームで、そのメールを何度も読んだ。来年の春を待たずに、彼は次の週末の切符を買った。 その週末、彼は本当に帰ってきた。故郷の駅に降りると、ホームの端で、母親が手を振っていた。歳を取ったけれど、笑顔は昔のままだった。実家では、彼の好きだった煮物が鍋いっぱいに用意されていた。二十年分の「おかえり」は、言葉ではなく、温かい夕食の形で彼を迎えた。 母親はその夜、息子の部屋の窓を久しぶりに開けた。来年の春を待つはずだった部屋に、一足早く、風が通った。 夜の局では、配達済みの札に、墨の足跡がひとつ増えた。