第16話 透のポケット

夜の郵便局 著者:ミオ

透の制服の胸ポケットには、いつも一通の封筒が入っている。配達の途中、彼は時々、無意識にそこへ手を当てた。  宛先は、亡くなった母だった。母が亡くなった年、透は二十歳だった。看病の日々の中で言えなかったことが山ほどあって、彼は四十九日の夜に手紙を書いた。「産んでくれてありがとう。最後に、もっと話せばよかった」。でも、届け先がない。燃やすのも忍びなくて、彼は手紙を持ち歩くようになった。  この局に流れ着くはずの手紙を、自分だけ出せずにいる。それが、配達員の彼には小さな棘だった。  ある夜、星野局長が言った。「透さん。焦らなくていいんですよ。手紙には、それぞれ潮時があります。あなたのは、まだその時ではないだけだ」 「局長は、わかるんですか。僕のポケットのことが」 「配達員の顔を見ればね。……私も昔、同じ顔をしていました」  局長はそれ以上言わなかった。墨が透の膝に乗り、ポケットの上から、温かい重みをかけた。  母の思い出は、大きな出来事よりも、小さな場面で戻ってくる。入院中、冷える足のために買って行った靴下のサイズを間違えて、二人で笑ったこと。退院したら食べたいもののリストを、ノートの隅に書いていたこと。「あんたは心配性だねえ」と言いながら、透の作った不格好なおにぎりを、美味しいと言って食べたこと。  手紙には、それら全部を書いた。だから二年経っても、封ができないのではなく、届け先だけが見つからなかったのだ。  その夜の配達は、静かなものだった。最後の一通は、生まれたばかりの赤ん坊のいる家へのものだった。届けたのは、遠方のおばあちゃんが書いた「生まれてきてくれて、ありがとう」の手紙。若い夫婦は眠っていたけれど、赤ん坊だけが目を開けて、天井の明かりを見つめていた。透はポストの前で小さく頭を下げた。新しい命への手紙を届ける夜に、自分の手紙の重さが、ほんの少し軽くなった気がした。  帰り道、透は星空を見上げて思った。いつか、この手紙も届く日が来るのだろうか。答えはまだ、夜の中にあった。